令和5年11月11日に実践交流会を開催しました!!

去る令和5年11月11日、会場は上三川ふれあいの家ひまわりにて実践交流会を開催しました。今交流会の目的は内部の役員、職員、利用者が法人理念の現状報告や意見を交流すること。午前の部は日産の講話、午後の部はアートコンペティション。実践をパネルレポートしたりアート展示をしたりと公開(文字・映像)しこぶしの会全体を知ること。また、こぶしグループの歴史を学ぶ(写真展示等)ことを中心に実施しました。計画当初は内部だけの企画でしたが皆様の応援が集まり、総勢300名ほどの利用者、職員、関係者の方々が集ることができました。ありがとうございます。

日産講話

日産自動車が地域での障害者雇用推進に向け動き出した平成30年よりチャレンジセンターとの繋がりができ、以降、上三川にある栃木工場への就職者をこぶしの会の各就労移行事業所から送り出して来た経緯があります。今回の実践交流会において、地元企業と地域の方や行政との繋がりをサポートできたらとの思いもあり来賓としてお招きさせて頂きました。

講  師:日産自動車株式会社 人事本部 日本人材開発部

佐野 義広さま(障がい者職業生活指導員)

講話内容:日産としての障害者雇用への取り組みについて

○会社概要

○障害者求人の概要(業務内容・待遇など労働条件について)

○現に就職されている方たちの就労状況について

○こぶしの会から就職された当事者3名からの挨拶

○質疑応答

・車通勤禁止の理由、社員寮の利用状況について

・視覚障害者以外の雇用について

など

日産からは「これまでは就労施設での訓練者からしか選抜しない意向だったが、雇用率UPに伴いそれだけでは採用数が困難となってきた」との話をCCにて受けていたことから、支援学校との繋がりを強化されては、との話を佐野さんに向けてさせていただき、直接保護者の方をご紹介、今後は近隣の支援学校からの実習受入~採用を前向きに検討する、との返答を頂くことができました。保護者の方も大変喜ばれていました。 雇用したい側と就職したい側の架け橋に思いがけずになることができ、チャレンジセンターとしても意義がある機会だったと感じています。

実践交流会・アートコンペティション

この度の令和5年度実践交流(報告)会にて初めての試みとして、法人アートコンペティションを開催いたしました。テーマは“人の人生はそれだけでアート。それぞれの意味があり、突き詰めた先はいるだけでアートになる。生きてきた経験があり、それを輝かせる(アートにする)のは職員でもある。みんなが集って「困った」を「よかった」に変える『こぶし』をつくろう。原石は、こぶしの会の中にたくさんある。周囲の気づきによって、人は輝ける。” でした。

このテーマに基づき、利用者さんが日々職員と共に取り組んでいる創作活動作品や個人の趣味として取り組んでいる絵画、書道、手芸、写真、等の部門に分け応募をかけました。始まりは約1年前で、その期間で約60点の作品が法人内事業所4か所から集まり、11月11日(土)実践交流(報告)会、当日に展示しました。事前にこぶしの会HPにもアートのページを新設し作品の写真をUPしております。良かったら是非見て頂けたらと思います。そして今回の取り組みに協力して頂いた専門家の方がおります。芳賀けやき作業所に絵画を教えに来てくれている手塚博也先生、真岡セルプ・みらいで創作活動ボランティアをしに来て頂いている兵藤チイ子先生など、皆様のご協力の上、応募作品の中から賞を選びました。その選出作品を法人内経済活動の自主製品の包装デザインに取り入れることや、利用者、スタッフの統一ユニフォームのデザインに登用するなど、様々な社会との結びつきを作っていくことができます。適時、情報はこぶしの会ホームページに掲載していきますのでチェックして頂ければと思います。

♦理事長挨拶♦

皆さんおはようございます。

理事長をやっている藤田勝春でございます。

簡単な自己紹介をいたします。

私は81歳になります。

皆さん今の人たちは知らない方が多いと思いますが、私は戦争の最中満州で生まれました。ソ連軍が攻めてきて、父親は兵隊として捕虜になり、私は母と妹でソ連軍から逃れながら一年間捕虜生活を送り、母と宇都宮に帰って来ました。宇都宮に帰ってきたら空襲を受けていた現実がありました。

そういう意味で、私の体験では戦争とは「起きてはならない、嫌なものだな」といった体験があります。今、ウクライナの戦争、パレスチナの紛争など 歴史は残念なことに繰り返すのかなと思います。

日本にも大きな影響が出ています。電気代、物価上昇、ガソリン代など。

そういう中で一番虐げられるのは、障害者の人たちです。

これから大変な時期に入ると心配しています。それなので、皆さんで頑張ってほしいし、だからこそこぶしの会の人が力を合わせる時だと思います。

それから、こぶしの会を設立する時期、私が弁護士になりたての時に、障害者の人たちは学校に行けずひとりぼっちでいる人がたくさんいました。

一般の人と、障害のある方が一緒になるのは問題があったと言われていました。

特別に集まった人たちのための学校ができました。卒業した後働く場所がない。みんな何をやっているのか、卒業した後は家にいました。

お父さんお母さんは、お子さんが言葉を出さなくてもなんでもわかっています。

お父さん、お母さんからご意見があり、お子さんたちが何とかみんなで集まって働く場所を作りたいと集まって作ったのがこぶしの会です。

当時、一か所だけ市が作った共同作業所がありましたが、作業ができる能力が高い人しか行けない、重度の障害のある方の行き場所がなかったのが現実でした。当時は、「いろんな重い障害があっても働ける場所」を合言葉で始めました。

そこからさまざまな活動が始まりました。

また、その当時お金もかかったことなど、相当苦労もしましたが、労働組合の団体が寄付を募ってくれたりもしました。会長に直訴し、なんとか手伝ってほしいと。対立はあるかもしれないが、障害者には対立はないことを伝えながらお願いしました。そして、今の柳田町の土地を購入することがなんとかできました。また、いろんな人にカンパを願いしたり皆さんの力でここまで来ることができました。

これからは、老々介護の大きな問題や住まいの場のGHのことなど、まだまだ課題があります。お父さんお母さんの労働環境に対応できるGhを作る問題など。

皆さん若い人たちがいろんな意見を出し合い、将来を作っていきたいと思います。

そういう意味では不十分であり、問題もたくさんありますが、若い人たちを含めて発展させていきますので、いろんなご意見があったら話し合ってください。

話し合うのが必要です。そのことがこぶしの人たちを守ることになります。

忌憚のない意見を出し合い、こぶしの会を大きくしていきたいと思います。

本日はどうもありがとうございます。